納税は義務でもあり権利でもある

納税は義務でもあり権利でもある

納税はたしかに「義務」である。しかし、今日の申告納税制度は、納税者が勝ち取った「権利」でもあるという話。

諸富徹氏の著書『税という社会の仕組み』(筑摩書房、2024年)の帯には、「納税は権利です」と書かれている。

これは素晴らしいキャッチコピーでもあり、また、納税者自身も知っておくべき考え方なのだ。

なぜならば、事実、今日の申告納税制度は納税者が勝ち取った権利だからである。

「税金=強制徴収」のイメージしかない日本国民

憲法30条には、『国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。』と書かれている。

「それ見ろ、納税は義務でしかないじゃないか」

それもたしかに一面だ。

しかし、条文の真ん中を見てほしい。

「法律の定めるところにより」と限定的な注文をつけている。

この意味するところは何か。

わかりやすく反対に解釈すれば、「法律以外の何かによって課税されることは許されないよ」と言いたいのである。

これは憲法84条の租税法律主義の再確認である。

納税者は租税法律主義を勝ち取った

これは重要だ。

戦前、国民は課税庁が税額を決定し、それを納めなければならなかった。

しかし、戦後の日本国憲法では、前述のとおり租税法律主義が定立され、租税行政庁が単独で課税することができなくなった。

課税するためには、我々国民が選挙で選んだ国会議員を通じて施行された法律の存在が必要になったのだ。

故に、国家による課税権の濫用に歯止めがかかった。

また、自主的な申告納税制度を採用したため、納税者自身で税法を解釈し、納税者の意図する内容で申告もできるようになった。

もちろん、その後、課税庁側が申告内容を否定したとしても、税務署長宛、国税不服審判所宛、そして裁判を通じて、租税法規の解釈についても争えるようになった。

さらに言えば、納税の猶予という制度も充実し、災害や廃業時に納付を先延ばしにできたりするなど、やむを得ない事情に置かれた納税者の救済制度も充実している。

そのため、国税の全額期限内納付は、高い割合を誇っている。

税金の文句ばかり言ってどうする

ここまで見てくると、いかに戦後は納税者側に裁量が与えられるようになったか、ということがわかる。

税金の話になると、文句ばかり出てくるが、果たして我々は「申告納税の権利」についてどこまで認識し、どのように行使できているのだろうか。

甚だ疑問しか感じないのである。

そこで冒頭で紹介した書籍では、税金の使い道を選択するという視点を持ち、社会を変えていこうと著者は言うわけである。

その視点ももちろん大切だが、そもそも、今日の税制は、納税者に有利である自主的な申告納税制度が採用されているという事実すら知らない納税者が多すぎるのである。

だからこそ、「税務署が納付書を送ってくれるものと思っていた。延滞税なんてふざけるな」というクレームが絶えないのである。

現行制度はたしかに、デメリットもある。

自分自身もしくは税理士に依頼して期限内に自主的に申告と納付の手続きをしなければならない。

また、現行制度は性善説に立っているから、事後の確認として、税務調査も行わなければならない。

期限後の申告や納付には、延滞税や加算税といった附帯税のペナルティもある。

だが、これらデメリット(短所)を考慮したとしても、現行の申告納税制度の方が、納税者にとっては有利だ。

それだけ、国家による課税権と戦えるということは、大きなメリットなのだ。

もし仮に、戦前に戻り、税務署が一方的に決定した納付額を納めなければならない。それに対して争う制度や救済制度も無いという状態になっても、あなたは「お上が決めた税額の天引き」が良いのだろうか。

たしかに、その方が手続きをしなくて良いから楽である。

税務調査や行政指導もめっきり少なくなるだろう。

しかし、その利便性と引き換えに、納税者は大切なものを失うのである。

それが、租税法律主義(憲法84条、30条)なのだ。

だからもう少し、権利を持っているという自覚を持とうではないか。

権利と義務は表裏一体なのであって、短所もある。

けれども、長所もある。

つまり、納税者も税について学び、その権利を適切に行使できるようにならなければならない。

また、税務調査や附帯税は現行制度の欠陥を正し、納税者の権利を維持するために必要な制度なのだから、甘んじて受け入れるべきである。

税務署員に嫌がらせをしているようでは、その人はまだまだ租税法についての理解が足りないと言われても仕方がないだろう。

我々の大切な税金をどのように使うのか、そしてどのように徴収するのか。

これらの点について、納税者自身も考え、理解し、選択していかなければならない。